カテゴリ:□東日本大震災( 4 )

2011.4.10(日)浦安

地震から1ヶ月、やっとスクーターに乗れる気候になったので、浦安へ向かう

浅草橋から約20km
これからも東京で設計の仕事をするのであれば
「液状化現象とは何か」ということを
自分の印象に焼き付けておかねばならないと思ったから

f0230666_1883438.jpg「浦安市総合公園付近」
基本的に道路には(高架でない限り)
建築で言うところの“基礎”という考え方が無い
“突き固めて”舗装するだけだ
よって、液状化するがままに地は裂ける


f0230666_1893979.jpg 「浦安市日の出付近」
突き出たマンホール
しかし、ここは人が造った“埋め立て地”であるということ
つまり舗装やインフラの不備ではなく
埋め立て地という考え方そのもののあり方を考えなければならない


f0230666_18114752.jpg「浦安市 境川付近」
護岸と道路の裂け目
河川と道路の管理、つまり縦割り行政のことを考えると
ぞっとする復旧過程になりそうだ


f0230666_18102498.jpg 「浦安市富岡交番付近」
傾いた交番
住宅も多くが傾いていた
水平垂直を失った街
人々は粛々と生活を送っている


by ocm2000 | 2011-04-10 18:52 | □東日本大震災 | Trackback | Comments(0)

「東日本大震災」2011.3.11−2

3/11、21時

閉鎖されたJR浅草橋駅の前に集まる人々……
駅員さんと警察が対応している……
f0230666_21541287.jpg


タクシーを待つ長い行列……
f0230666_2155564.jpg


帰り道の地図をみる人々……
f0230666_21573710.jpg


駅員さんも、地図で道案内をしています……
f0230666_21584431.jpg


携帯の電池がなくなったのでしょう、公衆電話が活用されています
f0230666_21595036.jpg


女性達がヘルメットをかぶって、帰宅しています
f0230666_221624.jpg


ぐったりしています……
f0230666_226488.jpg


座りこんでしまっています……
f0230666_227856.jpg


あいのりでしょうか、満員です……
f0230666_2281995.jpg


路上生活者の人は、生きるため、資源ゴミを収集しています……
f0230666_2292134.jpg


品物のないコンビニの前で、ぐったりしています……
f0230666_22104942.jpg


杖をついて、帰宅です……
f0230666_22114621.jpg


何もすることができません……
ただ、伝えるだけです……
何か感じてください……
by ocm2000 | 2011-03-11 22:01 | □東日本大震災 | Trackback | Comments(0)

「東日本大震災」2011.3.11

東京都台東区浅草橋
地震がありました。震度5強
大島とOCM事務所建物は無事です

テレビなどでは大変な報道がされていますが
ご心配なさらぬよう

これから夜です
何があるかわからないので、片付けはそこそこに、避難道具のチェックなどをなさってください
もしくは、建物が無事でもインフラ(電気。ガス、水道、電話)が止まる恐れがありますので
水やカセットコンロ、簡易に食べられる食べ物の確保をしてください
by ocm2000 | 2011-03-11 19:35 | □東日本大震災 | Trackback | Comments(0)

「東日本大震災」2011.3.11−3

「東日本大震災」

被災された方々へ、心からお見舞い申し上げます。

OCMが手がけた家々、建物は大丈夫だと思いますが
少しずつお問い合わせをして、確認しております

建物よりも、けがや、ご家族の精神面を心配しております

逆に、建て主さんから「OCMは大丈夫でしたか……」とご心配いただいたり……



その一部を掲載させていただきます


「逗子の家」  神奈川県逗子市
ご無沙汰しております。お気遣いありがとうございます。みな無事です。家ももちろん大丈夫です。その後の余震でも、岩盤のせいか揺れも少し小さいように感じます。一方、私の会社の工場は被災を受け、完全に止まっています。新聞などの材料メーカーが供給停止でモノが入ってこず、生産できないというような記事がありますが、まさにそういう材料メーカーの立場にあります。自社以外の工場で、同じモノを作れるように段取り、取引先との交渉に追われています。ほんまにえらいことになりました。正直、日に日に状況が悪くなっていますが、元気だけは失わず、うちの会社のことだけでなく、日本復活のため、みんなで何とか乗り越えたいですね。家内からも、先月でしたか、大島さんに、また来てください、とお声掛けをした、と聞いていました。時々HPは見ていますが、浅草のほうに移られたのですね。ちょっとさらに遠くなってしまいましたが、本当にまた遊びに来てください。週末は逗子にいますので、いつでも。


「本八幡の家」 千葉県市川市
ご無沙汰しております。お気遣いいただきましてありがとうございました。家の方は飾り棚のものがいくつか落ちて割れていましたがその程度で済みました。よかったです。主人はライフラインに関わる仕事ですので泊まりも多くなり休日も出勤しておりますが元気です。地震のあった時、子どもと幼稚園の園庭にいましたので庭の真ん中にみんなで集まり小さくなっていました。お子さんの中には泣いている子も何人かいましたが、うちの子どもは地震に対して全く恐怖感がないようで今もフツーに過ごしています。私自身は16年前のトラウマはもうないと思っていましたが、長い揺れの中で言葉で表せないすごく嫌な感じを受け、子ども以上に大泣きしてしまい周りの先生やお母さんたちに、だいぶん引かれたと思います。今は少し気持ちも落ち着きました。すぐに始めたことは、もちろん節電や節水、不必要な買い物をしないことですが、これから大人になっていく子どもにも資源は大切に使うもの・・・と改めて教えなければと思いました。大きな不安もまだ解決されておりませんし、被災された方々は日に日に喪失感や不安感が増していく一方だと思うと心も痛みます。どうしていいのかもわからない自分にも無力感があり 青い空を見ても落ち込んでしまいます。1日1日を見守るだけです。大島さん、新しい事務所でますますご活躍されていると思いますが今後もお体には お気をつけてくださいね! この度はおはがき ありがとうございました。



「大井松田の家」神奈川県足柄上郡
(奥さん)ご連絡ありがとうございます。家族皆、元気です。地震発生時は、私と下の娘2人が家にいましたが、食器棚の戸が左右にスライドしたくらいで落下物もなく、もちろん家も無事でした!長女は学校で避難して、集団下校。夫は、緊急時配備で何時に帰宅できるかわからない状態になり、結局深夜になってから配備が解除されたものの、電車がストップしてしまったので、私が迎えに行き帰宅できました。今日は、計画停電に振り回されて朝からバタバタでした!明日はどうなることやら?まだまだ余震も続いています。大島さんもお身体にくれぐれも気をつけてお過ごしください。

(ご主人)さて、余震も一段落といったところでしょうか、我が家も数回程度、計画停電の餌食となっておりますが、実家では、親父が自家発電機(ディーゼル)をぶん回し、そこから、コードを這わせ、何故か、停電時間中も照明が確保できていたりしています。また、オール電化にもしていなかったので、ガスも生きていますし、水道に至っては、地下水を安心して飲んでいるといった状況です。私も、生まれてからそろそろ40年を迎えようとしていますが、幼い頃から、ずっと見慣れてきた幹線道路沿いの照明が、一瞬にして消灯することには、とても不思議な感覚を覚えます。そんな中、夜間の電力確保策が何かないかと考えたりもしています。田舎の強みでしょうか。何となく、自給自足的な感じでありまして、今度は大島さんに、風力発電の設計でもお願いしようかと(笑)取り急ぎ、メール確認の御報告と近況報告まで。


「久我山の家」 東京都杉並区
大変ごぶさたいたしております。お気遣いをありがとうございます。地震時は在宅いたしており、一番目がいったのがリビングガラス棚。揺れのおさまるのを待つあいだ、見守っていましたが何事もなく、家の中のものもなにひとつ破損いたしませんでした。もちろん家族全員怪我もなく無事でおります。昨日は備えておくべきものの買出しに行きましたが、いろいろと手に入りにくくなっているようですね。今日も食料品を求めて近所のスーパーへまいりましたが、入場制限をしており、欠品のものも多かったです。まだまだ不安な日々が続きそうですが、大島さんもお体にお気をつけて・・・またお目にかかれることを楽しみにしております。


「下総中山の家」千葉県市川市
「上野から市川まで5時間かかって家族が歩いて帰宅しました。ありがとうございます。無事帰ってこれて良かったです。」


「幡ヶ谷の家」 東京都渋谷区
「ご心配していただきありがとうございます。幸い家には問題が見られません。子供部屋の本が落ちたり、本棚から「はにわ」が落下はありましたが、家族に怪我はありませんでした。電車がストップしたので職場(北区)から途中、娘(高校)とともに徒歩で3時間かけて帰りました。明治通りや甲州街道を沢山の人が歩いている姿に驚きました。」


「蓮根の家」  東京都板橋区
「びくともせず。フィギュア数個だけ落ちただけ。家族皆無事。長男は深夜2時、学校行事デズニーランドより観光バスで帰宅。」


「鶴ヶ島の家」 埼玉県鶴ケ島市  
(奥さん)「大丈夫です。ありがとうございます。かなり揺れて怖かったです。停電などはしていません。長男だけ外出していました。渋谷にいて、池袋まで3時間かけて歩いたようです。池袋の実家にいます。今夜は眠れそうにないです。オーシマさんも大丈夫なんですね。よかったぁ。」
「はい。懐中電灯やローソクは用意しました。ガスコンロ、そうですね、あります。用意しておきます。余震こわいです。ありがとうございます。」

(ご主人)「メールありがとうございました。震災時、私は休みだったのでリスニングルームにいました。今までに体験したどの地震よりも大きく長い揺れを感じ部屋の物が一斉に音を立て出した時にはとても驚きました。大島さんも御存じの様に部屋は数千枚のCD、LP、本が収納してありますが、震度5の揺れの中で何一つ落下させなかったその棚の姿は、まるで奇跡を見ている様な気分でした。木造と鉄筋コンクリートが並列して建つ我家の木造部分はかなり揺れた様ですが、防音構造から派生したブ厚いコンクリートの壁は耐震的にもかなり有効に作用した様で、お陰さまでギターもドラムも転倒すらせず事なきをえました。物が落下したのは後からいれた収納家具ばかりで、造り付けの収納を多く設計して頂いた事は、震災時の安全面でも大きな助けになった様に思えて感謝しております。それにしても被災地の状況を見ると、心が脱臼したように動きがフリーズしてしまいます。計画停電で夜10時までダウンジャケットを着て寒さを凌いだ事が、震災をよりリアルなものとして感じられました。 大震災の事実として記憶する事はもちろんですが、自分の体験、例えば森の様に暗い街並みや信号の消えた交差点を通り抜ける自分、ガソリンスタンドの長蛇の列にいる私、買い占められて空になった陳列棚が目立つマーケットで買い物をする姿は記憶に留めやすい様に思えます。まだこの先も、現在進行形で続いてゆくのが現実ですが、リアルな記憶として刻むにはそれなりの意志が必要だと感じています。計画停電は、地震の記憶を思い出す手段として、黙祷の意味を込めて将来的にも必要とされるように思えます。」


「国分寺の家」 東京都国分寺市
「ご無沙汰しております。国分寺の家はお陰様で何の支障もありません。土曜日に工務店さんからもお電話を頂きました。どうぞ大島さんもご無理をなさらずお気をつけてお過ごし下さい。取り急ぎお知らせまで。」


「鵠沼の家」  神奈川県藤沢市 
「大丈夫です。そっちは?」


「東京旅館」 東京都台東区
「大島さん、ありがとうございます。無事とのことに安堵です。揺れましたねぇ!台東旅館は10トンの屋根瓦を下ろしたばかりでしたので何の被害もなく、もちろん東京旅館は無事です。あの直後の設計監理でしたからね(^^)一級建築士さんに感謝感謝です。三階にある小さな水槽の水は1リットルほど噴き出しましたが、サンウェーブ・キッチン吊戸棚に設置した地震ストッパーは大変役に立ったみたいです。 そうです、お客さんの何人かは泣いていますが、これが一生の心の傷にならないようケアが必要です。 新潟・長野にも派生?地震でしょうか。何とか持ちこたえているそうです。世界中からのお見舞いメイルにも励まされております。特に東北地方はツライですが、これからも死んだつもりで生きてゆこうと思います。ありがとうございます。」 


「浅草の家(設計中)」台東区浅草
「昨日、OCM建物心配になり、安否確認に行きました。ベスパが無かったのでご無事と認識させていただきました。安心しました。予震の度に恐怖で震えています。マンション倒壊するかもしれません。」






OCMで設計した建物位置のマッピングです
f0230666_19271733.jpg

by ocm2000 | 2011-03-11 10:18 | □東日本大震災 | Trackback | Comments(0)